あなたにとって一番思い出に残っている年越しとは!?

新年を迎えてまもなく10日が過ぎようとしている。
この仕事をしていると、新年が明けたと思えば、ポカポカ春の陽気になっている。時間はあっという間に過ぎていくのだ。
 
さて、皆さんに質問です。
「あなたにとって忘れられない年越しってどんな過ごし方をした時ですか?」
 
このように質問された時、皆さんならどのように答えるだろうか?
 
気心の知れた仲間たちとどんちゃん騒ぎをして馬鹿笑いした年越し。
自分の愛する人と今年を振り返りながらまったりと過ごした年越し。
寒い中初詣に行くために人混みの中を歩いた年越し。
 
日常とは違った1日を過ごされているケースがほとんどであろう。
しかし、大晦日→年越しの過ごし方はほぼ毎年同じように過ごされているのではないだろうか。
 
もちろん、私もその内の一人だ。
今年の年越しも38度オーバーの熱を出し、かかりつけのクリニックと休日診療所をはしごした。インフルエンザの検査をし(インフルエンザではありませんでした。)最終的には点滴をし、31日にどうにか体調も戻った。そしておとなしく大晦日を迎えた。年末に体調を崩してしまうのは、もはや私の伝統芸みたいなものだ。
いつも平見先生には迷惑をかけてしまっている。
 
さて、そんな自虐ネタはさておき、私にも忘れられない年越しがある。
それは22年前の年越しだ。
 
15歳の年越しは新年を迎えたタイミングから受験校の赤本を解き始めた。
さすがにその時間から5教科を解き切るというわけにはいかなかったが、毎年の年越しとは違う過ごし方をしたことは今でも鮮明に覚えている。
一階では私を除く家族がテレビを見ながら年越しを迎えていた。
私はテレビの誘惑に負けないように耳栓をはめて赤本を解いていた。
 
年越しくらい自分もテレビを見てゆっくりしたいなぁという気持ちがなかったわけではない。
いや、むしろゆっくりしたかったはずだ。
見たかったテレビもあっただろう。
 
しかし、今年だけは頑張ろうと心に決めていた。
たった数時間の赤本演習。そんなもので大きな差など生まれるものではないということは重々承知していた。
 
では、なぜ私がそのような行動に移したのか。
理由はとても簡単。『今年しかない特別な環境で自分に自信をつけたかった』からだ。
 
たくさん悩んで決めた受験校だった。
私はサボりなので、中2から中3にかけて大きな成績の浮き沈みも経験した。
自分に甘く、逃げ癖がついていた自分に少しの自信をつけてくれたのが受験勉強だった。
毎日文句ひとつ言わずに、遅くまで自習室を開けてくださっていた塾の先生たちがいてくれた。
受験校を変更しても「自分のやりたいようにやればいい」と背中を押してくれた単身赴任中の父がいた。
日が変わるくらいの時間まで塾で過ごしていたので、母には車で送迎をしてもらった。しかも、ほぼ毎日だ。
そして、私の周りには高校受験に対し、同じ『想い』や『熱』を持った仲間たちがいた。
それらの内どれか一つでも欠けていたならば、私の高校受験は意味のないものになっていたかもしれない。
 
頑張ったり、努力したことがすぐに結果として現れるときもあれば、そうでないときもある。むしろ、そうでない方が多いだろう。
年越しに赤本を解いたからと言って、すぐに効果が出るわけでもない。
 
だが、この経験において何よりも大切なことは『努力した経験』を新たに積み重ねることが出来たことであろう。
私の高校入試は、私の人生においてもちろん一度きりの行事だった。
しかし、この『一人年越し赤本大会』の頑張りは私にとって一生モノの宝となった。
誘惑に負けずに、頑張れたという経験を積むことができたからだ。
 
人生の節目において、『努力した経験』を振り返ることは皆さんにもあるのではないだろうか。
 
そして、『良い経験』というのはいつまでも自分の心の中で生き続ける。
そういった意味において、人間はつくづく『記憶』の中で生きている生物なのだと思う。
『あの時に自分は頑張れたのだから、今回も乗り越えられるのでは……』と考えられるようになる。
『良い記憶』は未来の自分へのエネルギーとなるのだ。
 
2020年の年越しは終えた。
Daichi上牧生もそれぞれの年越しをしたことでしょう。
頑張った人、サボってしまった人。
どちらも『経験』として自分に蓄積されていく。
 
それらの『経験』を活かすことができる彼らであってほしい。
 
進学塾Daichi上牧 代表 堀居邦彦

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