軌跡を信じよ

昨日教え子たちと食事に行った。
何故かわからないが、今年は以前担当した教え子たちから連絡が来る年だった。
 
昨日のメンバーは、以前働いていた塾の教え子たち。
自分が初めて担任を受け持った学年だった。
彼らを担当して早10年もの月日が過ぎ去っている。
 
『10年』という期間。
以前の塾では様々な仕事を経験させてもらった。
その塾を退職し、塾長の掲げる理想の教育像に感銘を受け、進学塾Daichiで御世話になった。
上牧という地にさらに根差した塾を創りあげていきたいと考え、副代表の平見と独立をした。
このように10年間で、塾講師としての『経験値』をたくさん積み重ねていくことができた。
 
私は常日頃から心に留めていることがある。
『生徒、保護者、地域から、私は育ててもらっている』
おかげ様でたくさんの感謝の声を頂戴することが出来ている。
同時に、お叱りの声、もっと頑張ってよという激励の声もいただいた。
それら一つずつの『声』が一つとなり、『私』という一人の塾講師という存在を創り上げてきてたのだ。
 
昨日の食事の場である教え子がこう切り出した。
「堀居先生、わたしのメールアドレスご存知ですか!?」
 
私はその教え子のメールアドレスは知らなかった。
「いや、知らないなぁ。」
 
その教え子は間髪入れずにこう言った。
「先生が私たちに贈ってくれた言葉ですよ!」
 
私は『ある言葉』がピンときたのだが、間違えると何だかこっぱずかしいので知らないふりをした。
 
周りの教え子たちは口々に「あの言葉やんな!」と言っていた。
そして、その教え子は言ってくれた。
「『軌跡を信じよ』です」
 
『軌跡を信じよ』
私がこれまで受験学年を担当した教え子たちへ贈り続けてきた言葉。
 
この言葉を使うようになったのは、塾講師3年目の年。
その年に初めて受験学年を担当することが出来た。
当時の私は、受験指導に関して右も左も分からない状態だった。
日々の授業の準備が本当に精一杯だった。
彼らを担当することに、たくさん悩み、そして苦しんだ。
受験が近づく頃には、自分なんかが担当するよりも力量のある先生に担当してもらったほうが力がついたのに・・・と思ってしまうこともあった。
 
もちろん、生徒たちにはそんな弱気な姿や考えを見せることは出来ない。
ベテランだろうが、若手だろうが、同じ授業料を頂いているのだ。
生徒たちの前では精一杯の背伸びをして授業をした。
予習だけではうまく伝える術が分からないので、ベテランの先生方の授業を生徒たちに混じり見学させてもらっていた。
恥ずかしさなんて、そんな薄っぺらいものを気にしている場合ではなかった。
 
そんな自分が入試に向かう生徒たちに贈った言葉が『軌跡を信じよ』だった。
自分の辿ってきた道を信じて、入試問題に想いをぶつけてこい。
そんな話をしたように思う。
緊張してしまったのと、感極まってしまったので涙しながら話をしたことしか覚えていない。
今になっては入試前なのに、変に感情を昂らせる必要なんてないのにと思ってしまう。
ただ、それくらいに想いを込めて彼らを担当していたのは事実だ。
 
塾講師として初めて受験学年を担当して以来、毎年受験に関わっている。
昨日食事をしたメンバーも全員がその言葉を心の片隅に留めておいてくれていたのだ。これほど嬉しいことはない。
 
自分たちの手から離れていった後も、教え子たちがどのように過ごしているのかなと考えることは度々ある。
彼らの人生においてたった数年の付き合い。
その限られた時間の中、『教育』を通じて彼らに『何』を伝えることが出来るのか。
 
昨年の『自分』よりも、今年の『自分』が担当した生徒の方が様々な面において『力』が付いている状態で卒業させなければならない。
 
進学塾Daichi上牧 代表 堀居邦彦

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