何度でも何度でも立ち上がろう
昨日、中3の授業内で厳しく叱った。
課題の達成度が極めて低いものであったからだ。
本来この課題は日曜日にしておかなければならないものであった。
にも関わらず、ほとんどの生徒が中途半端な状態であった。
「課題を終えていない者は手を挙げなさい。」
気まずそうに手を挙げる者たち。
まだここできちんと手を挙げる者は良しとする。
問題はこういったタイミングで手を挙げない者だ。
生徒の顔つきを見ればある程度のことは想像がつく。
ましてや確認テストを実施し、点数ヒアリングを行った後のことである。
点数を見れば課題の達成状況などチェックをしなくても明白である。
まずは、手を挙げていない者から一人ずつ問い詰めていく。
「◯◯、さっき手を挙げていなかったが課題はきちんと出来ていたのか!?」
「やっていることはやっているのですが、まだやりなおしが途中で…」
「課題は問題を解き、丸つけをし、やりおなしをし、再度解き直しをしてくるまでだろ!?〇〇がやってきたのは本当に課題をやってきたと言えるのか!?」
「いえ…。」
「それでは出来ていないのと一緒だ。きちんと手を挙げなければいけない。」
こういった場面で『弱い自分』と向き合えない者は、今後も出来ないことから背を向ける傾向にある。
問題を解いているだけで学力が向上するのならば、こちらの苦労など皆無だ。
塾なんていうものは必要なくなるだろう。
正しい学習方法をしない者に成績向上などありえない。
ましてや、自分の不努力を受け入れずにあわよくばやり過ごそうなんて考えている者の先など見えている。
その後、挙手しなかった者に全て白状させてから話をしました。
決して安くはない授業料を君たちのお家の人に捻出していただいている。塾に通うことを当たり前のことだと思ってはいけない。授業料は我が子への『期待』を形にした一つなんだ。我が子が塾に行っている間、お家の人はどんなことを考えておられるだろう。『我が子は今頑張っているんだろうな』きっとこんなことを考えておられるのだろう。だから家に帰ると温かい食事が用意されているんじゃないのか?「今日も1日よく頑張ってきたね、お疲れさん。」保護者の方々の『我が子への想い』に先生たちは答えなければならない。目の前でサボっている生徒がいたら放っておくわけにはいかない。そんなことをしていると、それは君たちのお家の人たちに対してあまりにも不誠実だからだ。これからも出来ていないことはこれからも指摘をし続ける。
ザックリと書き出すとこういった話をしました。
これ以外にも色々話をしましたがここでは割愛します。
最後に『覚悟を決めて学習に打ち込め!』と伝えました。
結果を求められる時期。
自分の夢(志望校)に挑戦する意味とは。そして意義とは。
行動しなければ現状を変えることは出来ない。
行動することが何よりも大切。
そして行動すると変化が生まれる。
変化は何も恐れる必要などない。
強い気持ちで向き合ってほしい。
そして、その行動を継続するために心にエネルギーを。
何度でも何度でも立ち上がろう。
まだまだこれからだ。
代表 堀居邦彦
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