宿題が『目的』になってはいけない

今、巷で流行りの公立中学校があります。千代田区立麹町中学校です。
中学校が流行っているというよりも、校長先生の取り組みにスポットライトが当たっています。
 
工藤勇一氏は公立中学校校長です。
学校にある様々な『当たり前』を再度検証し必要であれば改革を行っておられます。
多くのメディアでその手腕について取り上げられています。
以下が改革の一部です。
 
・定期考査を廃止し、リベンジ可能な単元末テストの実施
・従来型の修学旅行ではなく、ツアー企画取材旅行に(旅行後にプレゼン)
・固定担任制をやめて、全員担任制へ
・社会で生きるためのスキルとモチベーションを高めるためのスイッチを身につける『麹中メソッド』
 
社会の中で強く生きていくことが出来る人になるための取り組みを実践されておられます。
 
それらの改革の中で私が一際目を引いたのが『宿題の廃止』でした。
 
以下は工藤氏のコメントです。(一部抜粋)
多くの教員は勉強することの意味を履き違えてしまっていると思います。
だからむやみやたらに宿題を出す。
本来の勉強の意味とは、生徒たちが『分かる』『分からない』を自覚し、分からないことを分かるようにすることです。
一律に宿題を課せば、すでに分かる状態にある生徒に無駄な時間を強いることになります。
 
 

『目的と手段を履き違えている』

工藤氏のコメントの中で『むやみやたらに宿題を出す』というフレーズがあります。
では、むやみやたらな宿題とはいったいどのようなものでしょうか。
例を挙げてみましょう。
 
例えば、漢字や英単語の回数を指定した練習です。
私はこれが学生の頃大嫌いでした。
綴りが短い英単語を10回も書く意味がわからない。
反対に綴りが長い英単語は10回書いても覚えることができないこともある。
意識が高い子は10回書いても覚えられなかったとしたら、覚えられるまで練習を続けるでしょう。
しかし大半の子は10回書いてそこで終了。
 
ここで間違ってはいけないのが、10回書いて終わりの子が悪いわけではないということです。
その子は教師の指示をキチンと守っているのですからね。
ただ、これでは学力が伸び悩んでいくことは明白です。
これでは宿題を出すことが目的となってしまっていると言わざるを得ないですね。
 

宿題は学力向上の『手段の一つ』

宿題を出すことは必要だと私たちは考えております。
今後もよっぽどのこと(教育に対する価値観が変わる)がない限り、この方針は変わらないでしょう。
 
先ほどの英単語の指導についてですが、私が出す宿題は回数の指定をしません。
これはどの学年においても同じです。
『自分の力で書けるようになるまで練習→確認テスト→やりなおし』
この一連の流れを徹底させます。
 
練習してきた内容が定着しているか塾で小テストをします。
点数が取れていない時はノートチェックをします。
それらの大半の生徒が同じ回数を練習しているだけです。
こういった『クセ』というものは抜けきるまでに長い時間を要することもあります。
なぜそのやり方が間違っているのかを理解してもらうまで、根気強く指導していく必要があります。
 
私たちが宿題を出す理由、それは学力向上には継続した学習が何よりも大切だからです。
人間は感情がある生き物です。感情は行動に結びつきます。
感情で行動してしまうと、『する』『しない』がどうしても出てしまいます。
『点(都度学習)の学習』から『線(継続学習)の学習』を生徒たちに意識させます。
 
これらを理解した生徒は自らで動き出せるようになります。
 
実際、定期考査前は日々の宿題はほとんど出ません。
私たちは教材を指定します。
あとは定期考査までにやらなければならないことを生徒自身に考えさせて学習に取り組ませています。
私たちがすることといえば、質問対応や進捗状況の管理といった学習の補助くらいです。
 
進学塾Daichi上牧において宿題とは、学力向上の1つの手段捉えています。
教師という立場である私たちは、宿題を提示する側の人間として常にこのことは肝に銘じておかなければなりませんね。
 
代表 堀居邦彦

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